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               小老奮闘記  

                     伊藤 諭 

 

 

それは気象台からの“梅雨明け”宣言もなく猛暑日が続く、去年(2017年)の7月初旬2日の事でした。ふと目にした新聞の記事が“東京2020大会マスコットデザイン募集“として全国一般から応募可能で、最終的には全国の小学校のクラス単位での投票で作品が決定するとの記事でした。この時に子供達も参加するのだから、この老人も参加できるのだと思い、早速その記事に記載のHPをPCで検索し、内容を確認してみました。

 

 それは14ページになるもので、特にその冒頭に先の東京大会(1964年)ではマスコットというのは無く(エンブレムはあった)、このマスコットは夏季としてはリオオリンピックが最初で、日本でも勿論、最初である。この大会マスコットは世界からのゲストを歓迎し、大会を盛り上げるだけでなく日本の文化や魅力を世界に紹介する存在として重要な役割を果し、大会終了後も海外も含めた多くの人々の記憶に残る事とになるでしょうと。

 これを一読し、迷う事なくこれはチャレンジだと、まして子供達も参加するのだからと。確かに入選する確率たるや誰の目にも“ジャンボ宝くじ”以上と思われるが、“宝くじ”も買わねば当たりません。これぞ我が生涯最後のチャレンジであり、国家プロジェクトへの参加と、己を鼓舞し思わず“よし”と呟いたものでした。

 その後、冷静になり14ページに亘る応募要領を熟読していくと応募資格に始まり、提出方法、提出期間、提出物の要件、注意事項、提出様式、制作条件、審査基準等につき事細かに記述してありました。正直、老体の身には読んで理解するのにかなりの時間を要しました。      特に制作条件、注意事項が細かく、主な点を挙げれば*制作はオリンピックとパラリンピック用のマスコット2体を制作し、両者のデザインは世界観は共有するが類似しない事。

      *マスコットは性別を設定しない事。

      *既存のマスコット、キャラクターに類似しない事。

      *政治的、宗教的、商業的メッセージを含まない事。

      *東京や日本らしさを感じさせる事。

      *オリジナリティーにあふれ、個性的である事。

      *マスコットのデザインは ・基本図、6面体図(正面、左右側面、背面、平面、底面)、表情図(喜んでいる、驚いている)競技図2種(テニス、アーチェリー等)等の11図をそれぞれオリンピック、パラリンピックで合計22図作成。

      *マスコットのプロフィールとして

       ・オリンピック、パラリンピックにおいて、それぞれ制作意図(200字以内)と特徴(200字以内)、それに両者の関係性(違いや共存につき200字以内)を記述。

等で、これらを全てクリアした上での応募であった。     

 先ず手始めとしてはマスコット・キャラクターについて世の中にどんな類が出回っているのかを摑みたく、インターネットで検索した処、全国都道府県や市町村、各種メーカー商品等のPR用のものが想像以上に種々雑多にあった。

ふくおか官兵衛くんくるっぱプチボザウルスくまモン

それらを一通り観て、更に近くの本屋に行き、アニメ漫画を陳列された棚から取り出し、パラパラとページを捲ったりして、数冊のマンガに目を通して観た。その内に、多少イメージが湧いてきたので、そのイメージに日本らしさ日本の文化を感じさせる事を加味させたマスコットをと考え巡らした結果オリンピックとは地球上の各国からアスリートが一堂に集まり競い合う祭り、祭典であるという事をベースに考えたのは、古来から日本各地で年間を通して催される“祭り”である。又、今やアニメ等により世界的にブームを起こしているのは、忍者ブームではないかと。この“祭り”と“忍者”をモチーフにアニメ風を加味してカラフルにし、併せてオリンピックのエンブレムにある“市松模様”も取り入れたマスコットを制作する事とした。

「忍者 マスコッ...」の画像検索結果 「忍者 マスコッ...」の画像検索結果 「忍者 マスコッ...」の画像検索結果

それに当たっては前述の制作条件、注意事項を考慮しての制作であった。特に性別を設定しない事や、宗教的(寺社仏閣)な表現を避ける事、更には既存のマスコット・キャラクターに類似しない事等に留意し図案を思案した。

 それから、猛暑日が続く数日間は文房具店から買ってきたA4 判の画用紙に向かって、30色のカラーペンを握りしめての描いては捨て、描いては消しの戦いであった。そうこうする内に、図案の構図も固まり、配色も決め22体図の図も描き上げ着色した。それと同時にプロフィールとしての制作意図、特徴についても、夫々200字以内の文章に纏め、制作作業は完了した。この時既に、思い立ってから一週間余りが過ぎた710日であった。

 これらの出来上がった図を、得意げに家族等の身内に見せ反応をみたら、期待した程“これは素晴らしい”とか言ってくれなかったので、一瞬、気が沈みかけた。しかしその時思い出したのが、某テレビのインタビュー番組で、ある大手の食品メ―カーの社長が曰く“色々と商品開発していく中で、発売前に社内の評判が良かった商品よりも、あまり評判が良くなかった商品が返ってヒット商品になる事がある“と言っていたのを思い起こし、不思議と勇気が湧いてきたのであった。次のステップはこれらの出来上がったオリンピック、パラリンピック各々の図案とプロフィールを“描画ソフト”を用いて応募サイトに提出する事であった。この“描画ソフト”がどのようなソフトであるか、PCの簡単な機能しか操作出来ない私に解る訳がないので、この点は最初からパンフレットや広告チラシを作成できる知人のS氏に頼む予定であった。早速連絡を取り、オリンピック・マスコットデザイン募集のHPを検索し“描画ソフト”による応募を検討してくれと頼んだ処、翌日直ぐに連絡があった。S氏曰く“これは私の技量ではとても対応できるレベルではない、グラフィックデザインの専門家でないと不可能“との事であった。これには唖然とした。この時、思い当たったのが、今回の図案の思案に明け暮れていた最中に、目にした新聞記事であった。それは読者投稿欄に載っていたオリンピック・マスコットデザイン募集に関しての80歳近くの男性の意見であった。それによると、男性はこの応募が一般からも応募できるという記事を読み、そのデザインを来る日も来る日も考えていた折り、孫娘から“それはパソコンで絵を描く人しか出品できないのよ“と言われ、インターネットもパソコンも出来ない老人は駄目なのかとがっかりしたという内容であった。その時は他人事と思い軽く読み流していたが、それは正にこの事であったのかと、初めて投稿者の気持になれたのであった。しかし、そんな感傷に浸っている暇も無く、知人の中にそんなレベルの技量を持った者はいないかと考えあぐねいていたその時、はたと思い出したのが、我らの“バナナ叩き売りST保存会“のHPを立ち上げてくれたO氏であった。彼こそエキスパートである。何故それに早く気が付かなかったのかと己を責めPCに飛びつき、彼宛に本件の主旨と我が思い、それに図案及びプロフィール等については既に準備が出来ており、あとは描画ソフトを使って応募するだけの状態だとメールした。それから日を置かず直接電話があった。

O氏は既にデザイン応募について承知していた。曰く“これらを一般のグラフィックデザイン社にオーダーすれば料金は100万円近くかかり、私でさえ40−50万円は頂く事になる“と。低級老人である私はこれを聞いた時、“これマジ”と一瞬、頭を殴られた様なショックを受けた。(某経済評論家によれば低級老人:買い物は宝くじ、行くのは公園、高級老人:買い物は株や国債、行くのはコンサートや歌舞伎開催劇場)。図案を転写して応募サイトへ送信するだけなのに、これがグラフィックデザインの価値かと。O氏は電話口で私のショック度を感じた様で、“伊藤さん、ネット上の“クラウド・ワークス”で応募を掲示すれば、世の中にはグラフィックデザインを趣味やアルバイトでやっている人がいるから、何か割安の金額でオファーがあるかもしれません“と、私は即O氏にそれを頼む事とした。翌日、O氏より連絡があり早速オファーが10万円であったと、それでも私にとっては高額過ぎるので、まだ掲示を続けてくれと頼んでみた。

一方、私としても只、待つだけではなく何か行動をせねばと考え、千葉市内のグラフィックデザイン社に直接当たってみる事とした。その為には取り敢えずは電話だと思い“職業別タウンページ“という分厚い電話帳を本棚の奥から引き出し、グラフィックデザインのカテゴリー欄を捲ってみた処、その欄には5社程の社名が載っており、自ずと個人経営と察せられる事業所名であった。先ずは、その中で最上段に載っている事業所に電話してみた。主と思われるNと言う男性が電話に出たので、オリンピック・マスコットデザインを応募するのに“描画ソフト“を使える人を探していると言ったら”私は可能です“と。それで応募に必要な図案、書類は全て準備出来ているのでそのソフトを使って応募して貰えるのかと問うたら“詳細を聞かせて下さい“と。話はトントン拍子に進み、翌日、必要な資料を携えて車で訪ねて行った。当事業所は我家から車で小一時間程の住宅街の中にある住宅兼用の事務所であった。N氏は40歳前後の見るからにIT従事者という感じの紳士で、既に当応募要領については一読している様であった。私は持参した資料を示しながら熱く思いを語ると、いたく感動してくれて(老人の語りに)引き受けましたと快諾してくれた。更には費用につき、恐る恐る5万円程度で如何でしょうかと問うた処、それに消費税を加えて貰えれば結構ですとこれまた快諾してくれた。その支払いについては“東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務局“(以後事務局)が当応募を受理した事を確認した後に支払う事とした。そして急ぎ帰宅し、“クラウド・ワークス“でオファーを探してくれているO氏に電話をして、丁寧に事の経緯を説明し、これまでのお礼を申し上げ“クラウド・ワークス“の取り下げをお願いした処、快く了承してくれた。これにて、このチャレンジは紆余曲折しながらも、やっとの事、先に明りが見えてきた。時に717日で、受付締切り814日まで、1ケ月を切っていた。

(原案の図)

 それからはN氏と図案の細部や彩等につき、メールでやり取りしながら、私のイメージ通りに仕上がっているのか、確認していった。N氏も本件を優先的に取り組んでくれてはいたが、それでもかなりの日数(工数)を要し、完成したのは8月10日の事であった。翌11日の午前中にN氏より、この度は稀にみる有意義な仕事を楽しくさせて頂いたと感謝の言葉を添え、サイトに一式を提出した旨のメールがあった。そして、その日の午後事務局より私宛に応募は確かに受理致しましたとメールが入った。このメールを持って私の生涯最後のチャレンジは完結したのであった。その達成感たるや、現役時代に大きな事案を施検し、そのレポートを書き上げた時以上の達成感であった。

その夜の晩酌は盃を重ね殊の他格別であったのは言うまでも無い。翌朝は久しぶりの深酒の余韻を残した面で近くのATMに行き、約束の54千円をN氏あてに振り込み一件落着とした。      

応募締切り日の814日の翌日のテレビ、新聞ではマスコット・デザイン応募数は2042作品であったと報道された。察するに、この応募には私の様な素人の個人は少なく、大多数はデザイン事業者、デザイン専門学校、大学のデザイン科等のプロ集団ではないだろうかと。(応募は団体でも可)それにしてもこの応募数で思った、既に“矢は放たれたし、戦は時の運”の心境で、極く僅かな期待をかけて、朗報を待つ事とした。

 それから、応募した事などすっかり頭から離れ、残暑厳しい日々を女房と暑い、暑いと言いながら1ケ月余りが過ぎた。そして、日中の日差しも和らぎ、朝晩のそよ風に秋の気配を感じてきた926日の午後、思いもかけず“東京2020大会マスコット審査会“の座長名でメールが入った。それによると“2042件の作品を頂いて審査会で審査し、現在98件の作品が候補として通過したと。今後は更に審査を続け最終候補作品を選んでいきますので、引き続き結果発表を心待ちして下さい“との文面であった。このメールをみて、とにも角にも第一関門を乗り越えたと、誇らしく思ったのであった。後は最終作品に残るのか、どうなのかと、何か期待が湧いてきた。

それからは、歌の文句にある様に“山肌染めて秋は行き、人肌恋しい冬が来る“とバタバタと時が過ぎ、年の瀬も押し迫り師走の月に入った127日の夕方、テレビニュースを観ていたら、突如、東京オリンピックマスコットの最終候補3作品が決定!と画面に出た。これを観て“えー、一挙に絞って3作品のみ“と、まじまじと画面を観ながら、”そうか終わったのか“と、同時に“これが現実だ”と思い、何か清々しい気分になったのであった。

(優勝の3作品の図)

photo

 翌朝の新聞の朝刊には最終候補の3作品につき、カラー色の写真と記事が載っていた。それらを改めて観てみると、それぞれ複雑な造形と、カラーペンでは出せない色合いを、上手く調和させているのは、さすがにプロの技と感じた。しかしながら、“敗軍の将、兵を語らず“と思いながら”負け犬の遠吠え“で、言えば、応募作品の制作に当たっての条件として*性別を設定しない事、*宗教的な要素を含まない事、とあるのに、作品の中にはピンク系色を使って女っ子ぽく、又、神社仏閣関連の要素が入っているのが気になるのであった。これからは、3作品についての全国の小学生による投票で、決定する事になっている。このオリンピック・マスコットデザイン募集の大イベントは子供達を含む全国民参加と言いながらも、所詮はグラフィックデザイン関連業界のイベントではなかったのかと。いずれにしても、我が生涯最後のチャレンジは終り、この為に費やした総額6万円超の金、これがあったら呑み屋に5−6回は行けたのにと思いながらも、2017年の夏は“熱い夏の思い出“として、老い先短いこれからも、決して忘れる事はないでしょう。

 

                              おわり

 

 

 

 

                    

    


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