万葉集からとられた元号「令和」に寄せて

 

          

「布浦万代の「万代」は、母が万葉集の歌中で詠まれた「万代」から名付けてくれました。」と語ってくれました。

学生時代に国文学を専攻した布浦さんは「当時、高度経済成長を背景に英文学を専攻した女性が多かった時代でしたが、中でも国文学を専攻する人は少なく、まして古今集や新古今集、和漢朗詠集などの貴族の歌に傾倒した人たちがいる中で、天皇から防人や農民・渡来人に至る多くの各階層の人が詠んだ万葉集に魅力を感じ、万葉集を専門にする人が殆どいない時代に勉強してきたことは今更ながら良かったと思っています。」と回顧してくれました。

現在は萬葉学会に所属し大学の先生方と万葉集を研究する一方、万葉集の研究に必至である日本書紀を今なお大学で学んでいるそうです。これまで訪れた万葉集の故地は全国約300か所にも及ぶそうです。また、全国各地での講演や新聞・雑誌に寄稿、茨城県民大学の講師を始め6か所での万葉集講座を受け持っており、中でも万葉集の故地や歌碑を訪ねるバスツアー教室も人気の1つだそうです。国内だけではなく、日本の素晴らしい伝統文化を広く海外に知って頂くために、5年前にアメリカ(額田王)、3年前にスイスジュネーブの国連で(古代日本女性の社会進出)と題して万葉集の講演をし、今夏はカナダで万葉集の講演の予定だそうです。

今回の改元では茨城新聞、TV東京NHKの取材を受け放映されました。

今回、「令和」の元となった大伴旅人が宴を開いた太宰府の邸宅跡は坂本八幡神社になっていますが、10年前に万代さんが訪ねた時は参拝客も殆どいなかったそうです。今回の元号の発表で大変注目される状況になり、たくさんの参拝客が押し寄せているようです。(西本新聞)

坂本八幡神社

令和のもとになったものは、万葉集巻五「梅花の宴」で、この梅花の宴は、越中守を務め、万葉集を編集したと伝わる大伴家持の父、大伴旅人が大宰府で開催したものであるとされています。

原文は万葉仮名という漢字を音にして日本語の語順で書かれ、全文が漢字で書かれていますが、現在は書き下し文にして読み易くなっているそうです。

書き下し文は「天平二年の正月の十三日に、師老の宅へあつまりて、宴会を申ぶ。」

(天平二年正月十三日、師の老の邸宅に集まって宴会を繰り広げた。)

「 時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉を披く。蘭は珮後(はいご)の香を薫らす。・・・」(折しも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。・・・)

この原文から「令和」は、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められた新元号となります。しかし、外務省発表では、外務省は新元号「令和」の意味を英語で表す際に「beautiful harmony(美しい調和)」に統一する方針を決め、河野太郎外相が各国在外公館にこの方針に沿って対外的に説明するよう指示しました。同省によると「令」を「命令(order)」と報道する海外メディアもあり、正しい解釈を促す狙いがあるようです。  

 

布浦劭君の支えもあり、現在万代さんは、万葉の歌の詠まれた故地訪問の旅、県民大学の講師、国連での万葉集の講演、TV出演などご活躍されています。

 

大伴旅人(ウイキペディアより) 大伴家持(百人一首より)

                         秋山記

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