令和312

松井茂基

 

 

NATO2030年に向けた新戦略を検討中

 

はじめに

昨年12月、NATOは今後10年間の改革構想をまとめた報告書を公表した。

NATO 2030」と呼ばれるこの報告書は、201912月のロンドンに置けるNATO首脳会議での要請を受け、ストルテンベルグNATO事務総長が立ち上げた専門家会合によって作成された68ページからなる提言である。この報告書は、NATOを取り巻く戦略環境が抜本的に変化しているとした上で、今後10年に渡る戦略環境を形作るトレンドを分析・評価し、結果として同盟の政治的機能を強化する必要があるとして138もの提言を盛り込んだ内容となっている。

NATO2010年に採択した「2010年戦略概念」は、ソ連邦・ワルシャワ条約機構(WTO)崩壊後の対露協力が中心で中国に関する言及はなかったが、今回の報告書では、中国の力とその世界的な広がりは開かれた民主主義社会の深刻な課題だとして中国を名指しで指摘し、NATOが取り組むべき対象として、軍事拡張を続ける中国をロシアやテロリズムなどと同列に取り上げていることが最大の特徴である。また、トランプ米大統領の就任以来、国防費などをめぐる米欧間の亀裂によって、フランスのマクロン大統領が「脳死状態」と呼ぶ事態にまで陥ったNATO内部の不一致にも触れ、結束強化の重要性を強調していることも特徴である。NATOは、今後この報告書をもとに「2020年戦略概念」を策定する予定である。

 

 

 

1.「NATO 2030」報告書のタイトルと目次

<タイトル>

NATO 2030 United for a New Era

Analysis and Recommendations of the Reflection Group Appointed by the NATO Secretary General 25 November 2020

NATO2030 新時代の結束に向けて

20201125NATO事務局長によって任命された提言グループの分析と提言

 

<目次>

1  Preface   序文

2  Introduction and Main Findings  序論及び主要な調査結果

2.1  A Strategic Anchor in Uncertain Times 

確実な時代の最後の戦略的頼みの綱

2.2  NATO’s Political Legacy: Adapting to Change 

       NATOの政治的遺産:変化への適応

2.3  A Political Role Suited to a New Era 

新時代にふさわしい政治的役割

2.4  Vision  

ビジョン                                               

2.5  Main Findings: Moving Toward NATO 2030                  

主な調査結果:NATO2030に向けて

3  Analysis: The Security and Political Environment 2010-2030  

分析:セキュリティと政治環境2010-2030

3.1  The Security Environment 

セキュリティ環境                                   

3.2  The Political Environment: Strains on Allied Unity  

政治環境:同盟国結束に関わる問題点

4   Recommendations: Strengthening NATO’s Role, Cohesion, and Consultation

提言:NATOの役割、結束、協議の強化      

4.1  NATO’s Political Purpose in the 21st Century 

21世紀におけるNATOの政治的目的

4.2   Strengthening NATO’s Political Role and Tools with regard to Emerging Threats and Challenges from Every Direction

あらゆる方向からの新たな脅威と挑戦に関しNATOの政治的役割と手段の強化

Russia                 ロシア

China                   中国                           

Emerging and Disruptive Technologies    新たな破壊的技術

Terrorism                テロリズム

The South                 南翼問題 

Arms Control and Nuclear Deterrence   軍備管理と核抑止

Energy Security               エネルギー安全保障

   Climate and Green Defense                                気候とグリーンディフェンス

Human Security and Women, Peace, and Security

人間の安全保障と女性、平和と安全保障

Pandemics and Natural Disasters               パンデミックと自然災害

Hybrid and Cyber Threats                            ハイブリッドおよびサイバー脅威

Outer Space                                                      宇宙空間

Strategic Communications, Public Diplomacy, and Tackling Disinformation  

戦略的コミュニケーション、パブリックディプロマシー、及び偽情報への取り組み

4.3 Strengthening NATO’s Political Cohesion and Unity 

NATOの政治的結束と団結の強化

4.4 Strengthening NATO’s Political Consultation and Decision-Making  

NATOの政治協議と意思決定の強化

4.4.1   Political Consultation among Allies

同盟国間の政治協議                               

4.4.2  Political Consultation with the European Union (EU)  

欧州連合(EU)との政治協議

4.4.3  Political Consultation with Partners  

パートナーとの政治的協議

4.4.4   Political Decision-Making

政治的意思決定                                      

4.4.5   Political Structure, Staffing, and Resources 

政治構造、人員配置、およびリソース                      

5    Conclusion      結論

 

 

2.報告書の概要

(1)報告書を作成した背景

NATOは、2010年に現行の「2010年戦略概念」を採択したが、2014年のウクライナ危機以降は、対ロ抑止防衛態勢を強化するなど軍事的には新たな状況に適応する一方、政治面では深刻な同盟内の対立を抱えるようになっていた。特に20171月、米国のトランプ政権成立以降は、同大統領の威圧的な言動や集団防衛に対する決意の揺らぎによって、NATOは大きく動揺した。2019年秋にはマクロン仏大統領がNATOを「脳死」状態にあると述べ、同盟国に波紋を広げた。この発言は、直前のシリアからの米軍撤退とトルコによるシリア攻撃が一方的に決定されたことを受けてのものだったが、彼があえて過激な言葉を用いたのは、他の同盟国に多大な影響を及ぼす問題をめぐって、同盟内の事前協議が蔑ろにされている現状に警鐘を鳴らすためであった。マクロン大統領の「脳死」発言は、メルケル独首相を含む他の同盟国からの反発を招いたが、同盟の現状分析としては決して誤りとは言えず、軍事的に機能するNATOは政治的には危機的状況にあるというのが大方の見方だった。そこで2019年のロンドンにおけるNATO首脳会議において各国首脳は、NATO事務総長に対して、同盟の政治的側面を強化するための将来を見据えた提言措置(a forward-looking reflection process)」を主導するよう求めた。これを受け事務総長は20203月に、デメジエール元独国防相とミッチェル元米国務次官補を共同議長とする計10名からなる独立した提言グループ(Reflection Group)を立ち上げた。そして彼らは4月から10月にかけて、加盟国の政府、軍、議会関係者に加え、日本を含むパートナー諸国の関係者や民間の専門家など、計200名以上と90回を超える面談を行い、60ページ超の報告書をまとめあげたのである。

 

(2)NATOを取り巻く戦略環境に関する評価、特に中国の脅威を強調

この報告書は、まず2030年に至る今後10年の情勢評価として、NATOがこれまで経験したことがないような複合的な脅威や挑戦に直面するという厳しい認識を示している。具体的には、大国間競争が復活するなかでロシアや中国が突きつける脅威や挑戦、また差し迫った脅威としてのテロ、気候変動やパンデミックといった新たなリスク、また新興・破壊的技術(EDT)がもたらす挑戦と機会などがその戦略環境を形作っていくと言う。

NATOは旧ソ連率いる東側陣営に対抗するため、1949年につくられた軍事同盟で、長らく旧ソ連と、その後のロシアの脅威にどう対抗するかがほぼ唯一の課題だった。だが時代が変わり、脅威はロシアだけではなくなった。報告書のなかで注目すべきは冒頭述べたとおり中国の位置づけである。NATO201912月のロンドン首脳宣言において「中国の影響力増大やその対外政策は、同盟としての対処が必要な機会と挑戦をもたらしている」と述べ、史上初めて中国に言及した。またストルテンベルグ事務総長自身も20206月の声明で、中国の影響力が欧州のみならず、サイバー空間、北極圏、アフリカにまで及ぶなか、NATOは「よりグローバルなアプローチをとる必要性がある」と述べている。

現行の「2010戦略概念」においては、ロシアは関与・協力の文脈で言及され、中国については言及すらなかったことに鑑みれば、独立した専門家会合の評価であるとはいえ、この報告書がいかに画期的であるかが理解できよう。

もちろん現段階においてNATOにとっての最大の軍事的脅威はロシアであり、中国は直接的な軍事的脅威を突きつけているわけではない。しかし報告書では、中国による経済力を背景とした強制・恫喝外交、また新興技術やサイバーなどあらゆる分野において中国の台頭がNATOにもたらしうるリスクに対して強い懸念が示され、同盟国のレジリエンス(強靱性)強化や技術優位の維持などが課題としてあげられている。

そして専門家会合は、中国との対話の可能性を残すべきだと指摘する一方、「NATOは中国がもたらす挑戦についてより多くの時間、政治的資源、行動を投入すべきだ」と述べる。具体的には、既存の枠組みでこの問題を取り上げて同盟国間の連携を強化するとともに、日本を含むパートナー諸国や他の機関も含めて経験や情報を持ち寄り、中国に対する同盟国の姿勢を議論できるような新たな協議機関を設置することを検討すべきだと提案している。また「インド太平洋」に関する項目でも、NATOのパートナー諸国である日本、豪州、ニュージーランド、韓国との協議の強化を求め、これらの国を軸とする「NATO-Pacific Partnership Council」といった枠組み形成の必要性を示唆している点は、日本としても注目すべきであろう。ただ、欧州では中国との関係で温度差が広がっている。例えば、強権的な政治姿勢でEUとの関係が悪化するハンガリーでは、新型コロナ対応でも中国製ワクチンを受け入れるなど親中姿勢が鮮明だ。「中国対抗」で同盟修復を進められるのか不透明感もくすぶる。

(3)バイデン政権の成立と今後の課題

以上の内容を含む「NATO 2030」報告書は、202011月にNATO事務総長に提出された。直後の20211月には、トランプ政権下で悪化したNATO諸国との関係修復に意欲を示すバイデン政権が発足し、「NATO 2030」を進めていく同盟内の雰囲気は改善しつつあると言える。他方、トランプが去っても、NATOには脅威認識の相違や負担分担をめぐる問題など、同盟の根幹を蝕む構造的な問題が山積しているのも事実である。専門家会合が示した提言をいかに具体的な戦略や政策に落とし込み、NATOとして政治的結束を回復・維持できるかは、各加盟国の「意思」にも大きく関わるため未知数である。

多国間主義への復帰を標榜するバイデン政権だが、トランプ政権前のような関係に戻るのは考えにくい。ストルテンベルグ氏は記者会見で「きょうは公平な負担の分担についても議論した」と話すのを忘れなかった。

トランプ前政権はNATO目標に到達していないドイツなどの加盟国に国防費の負担拡大を繰り返し迫ったが、バイデン政権でも要求は続くとみられ、米欧の火種はくすぶり続けそうだ。

ストルテンベルグ事務総長はすでに報告書の提言に基づき、「戦略概念」の見直しを2021年の首脳会議で提案する意向を示しているが、その開始を首脳レベルで合意できたとしても、文書の策定過程に入れば、各国の認識や立場の相違が露呈するリスクも孕んでいる。また結果として合意された文書が、脅威や挑戦を羅列するだけで、限られた資源をどこに投入するかという優先事項や重点が不明瞭になる可能性も否定できない。

さらに中国の影響力拡大がNATOにも多様な課題をもたらしているという点で合意できたとしても、それが自動的に共同対処・行動につながるわけではない。同盟国の間にはいまだに中国に対する温度差があり、NATOが「グローバルなアプローチ」をとることに消極的な国も存在する。こうしたなか同盟としていかに中国に対処していくかを「戦略概念」で規定したり、対中共通アプローチを策定することは容易な作業ではないだろう。

日本としては、岐路に立つNATOがいかに新たな状況に適応していくのかを注視するとともに、そのプロセスで大きな論点となる中国について、まずは自らの立場を確立し、バイデン政権とはもちろんのこと、他のNATO諸国との協議も活性化させていく必要がある。

 

(4)NATO政治的結束をいかに高めるのか?

同盟が機能するには軍事態勢を整えるだけでなく、政治的な一体性も必要になってくる。

しかし報告書が指摘しているように、米欧間には、米国の欧州関与からの後退、負担分担をめぐる問題、欧州の自律的志向など、互いの長期的な戦略方針をめぐる不信感が存在する。また冷戦終結から30年の時を経て30カ国にまで増大した加盟国の間には、脅威認識や政策課題の優先順位をめぐって深刻なズレが生じている。

こうしたなか専門家会合は、同盟の亀裂がこのまま進めばロシアや中国につけいる隙を与える危険があるとして、各加盟国がこれを戦略的な問題として深刻に捉えるべきだと警告している。

報告書ではイシューごとに提言が示されているが、なかでもその「出発点」として位置づけられているのが、時代遅れになっている現行の「戦略概念」の見直しである。

今後、複合的な脅威や挑戦に対する加盟国間の認識のズレを少しでも埋めて共同行動をとっていくため、NATOを政治的協議の場として積極的に活用していく必要を強く訴える。必要であれば外務・防衛以外の閣僚を参加させるなど形式を拡大すること、そして何よりも最高意思決定機関である北大西洋理事会を積極的に使って強化していくことがあげられている。

北大西洋理事会(NAC: North Atlantic Councilとは

加盟国30か国の代表により構成されるNATOの最高意思決定機関で、同盟のあらゆる側面に関する問題を協議する。閣僚レベルで慣例により年2回開催される。NACの枠組みで開催される閣僚級会合は、外相及び国防相によるものもがあり、また「NATO首脳会合」として、首脳レベルで開催される場合もある。NAC会合で議長を務めるのは、閣僚級でも首脳級でもNATO事務総長。NATOの運営その他に関する通常の政策決定を行うのは、常駐代表(大使)による会合で、原則として毎週(週に1回)、NATO本部で開催される。「常設理事会(PC)」とも呼ばれるが、これも制度的にはNACの会合であり、あらゆる問題について最終的な決定を行うことができる。加盟各国は、NATOに常駐代表部を設置しており、常駐代表は文民の大使(外交官)。

 

3.「2030NATO戦略概念」の作成へ

(1)「NATO2030報告書」をNATO国防相会議へ提示

NATOは今年217日、バイデン米政権の発足後、NATOとして初の閣僚会合となる国防相会議―防衛計画委員会(DPC)を開き、ストルテンベルグ事務総長が「NATO2030イニシアチブ」を加盟国の国防相に提示し。NATOが対処すべき課題と、対応の方向性を紹介した。

 

(2)NATO首脳会議、NATO2030報告書」を承認

スーツを着た男性たち

自動的に生成された説明

バイデン米大統領はNATO首脳会議に初参加した

NATOは6月14日に開いた首脳会議で、強権路線に傾く中国を「体制上の挑戦」とみなす共同声明をまとめ、中国の脅威に対処するため、2030年に向けた改革イニシャティブNATO2030報告書」を承認した。NATOの主要任務を定めた「2010年戦略概念」の抜本的な見直しに乗り出し、来年夏の首脳会議で「2020年戦略概念」の採択をめざす。戦略概念の見直しは10年以来12年ぶり。前述したように前回の戦略概念は中国について触れず、ロシアとミサイル防衛などでの協力をうたっていた。安保環境の激変を受け、対中政策を初めて盛り込むことになる。

ブリュッセルのNATO本部で開かれた首脳会議にはバイデン米大統領が初参加した。バイデン氏は記者会見で北大西洋条約5条に基づく集団的自衛権の行使を「神聖な義務」と明言し、加盟国の防衛を確約した。「中国やロシアは大西洋をまたぐ結束にくさびを打ちこもうとしているが、私たちの同盟は集団防衛と繁栄の土台であり続ける」と述べ、トランプ前政権できしんだ米欧同盟の結束に自信を示した。共同声明には「中国の野心的で強引な振る舞いはルールに基づく国際秩序と米欧の安保にとって体制上の挑戦」と明記した。宇宙での加盟国の衛星などへの攻撃をNATOの集団的自衛権の行使を定めた北大西洋条約5条の発動対象になり得るとも指摘した。中国は軍事作戦のカギを握る米国の衛星への攻撃能力を備えつつあり、米軍の脅威になっている。

                                       以上

 

 

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