(ガダルカナルとラバウルを訪問した概要)

 

ガダルカナル

ガダルカナルの激戦地はヘンダーソン飛行場をはるかに望む馬の背のような高台でした。そこから

飛行場方向に流れる川向こうの山地に岐阜の部隊が展開していたとのこと。

激戦地の山側、川向こうの高台は写真より高く見える。岐阜の部隊が布陣

 

この高地は飛行場との関係で緊要地形とおもわれ、確保のために激戦が行われ,当初は日本軍が優勢であったが、米軍側に追加の支援部隊が加わり形成が逆転した。

形勢を転換するような激戦は以降なかったとのこと。激戦地には小さな慰霊碑が有り、今は兵どもの夢の後のような草地ですが、現地の人たちが、時々訪問する日本人のために草刈りをして慰霊碑を守ってくれているとのことでした。有難いことです。

 

台地争奪戦の主力 2師団の慰霊碑(激戦は104210月下旬頃)

 

ヘンダーソン飛行場は海に近く、海岸線に平行な滑走路があり、日本のローカル飛行場のような感じで、現用されています。ターミナル以外の建物は無く、ターミナル前の道路脇で数十mに渡り現地人が地元の民芸品を露店で販売していました。

 

ホニアラ国際空港(旧ヘンダーソン飛行場)空港ターミナル建物

 

他に、島を見渡せる高台の上に大きな慰霊碑(上から見ると十字形)が有ります。明確では有りませんが、お参りする所から慰霊碑を仰ぐと、祖国日本方向を向くように作られているようでした。

戦闘や補給が滞り亡くなった多くの先輩戦士のご冥福を祈りました。

 

 

ガダルカナル戦没者慰霊碑               慰霊碑に向かうと北向きで日本を遠望する

 

 

ラバウル

ラバウルは日本軍の基幹基地で多くの戦力が展開しており、米軍は上陸による損害を回避する作戦で、

終戦まで大きな戦闘は有りませんでした。飛行場に近い所に街並みが有った写真を見ましたが、

30年程前に飛行所に近い所の火山が噴火し壊滅的被害を受け昔の街並みは無くなっていました。

今はメイン道路に沿って大型プレハブのスーパーマーケットが並び公園様の広場には常設の現地人が出店する市場が有りました。

 

広場に常設されている市場入り口と内部

 

慰霊碑は飛行場と港を見下ろす山腹にあります。慰霊碑にはラバウル周辺の島の地図が描かれており、当時の航空機が戦闘で出撃したエリアと思われます。山腹の道路脇のため、慰霊碑の前は数十名が椅子に座れる程で、広くは有りませんが、エリアの入り口はゲートも有り、慰霊エリアとしての形は整っております。

ここからがダルカナルまで片道1000Km(百里から硫黄島)飛び、戦闘していた苦労を偲びお参りしました。

 

   慰霊碑                       入口近くに有る慰霊碑

慰霊碑の場所から見る、ラバウル港と街並み(ほとんどはプレハブ造りの建物)

 

なお、飛行場跡は70年たちヤシ林になっており、飛行場として見渡せるようなところは有りませんが、

かなり広い平らな場所と感じるところが飛行場跡と思われました。

その一角に山本豪と称する厚いコンクリートで掩蔽した豪が有り、3m×10m位の通路と部屋が一体と

なるものが2つあり中の様子から指揮所(作戦室)と思われました。他に最上部に広さ2〜3m四方位の

狭い部屋の壁に地図が書かれていたが、意味が分かりません。

 

       山本壕の入り口                    壕の掩体蓋部

DSCN8144 

壕の内部                            部屋部(指揮所?)

 

以上、取り留めもなくコロナ等頭に浮んだことを羅列しました。コロナは今後もすきがれば人を襲って

きますので、勝てない相手には、逃げるが勝ち各位は夫々の体調に合わせて自愛しながら元気に

過ごしましょう。

長い間、ありがとうございました.

 

                                  5,26 コロナ謹慎(終了)独居老人  小川拝

 

 

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