ゼロ戦の痕跡を追って

 

幸次 昌秀 

2021.02.28 

 

  今年の1月半ば、千葉県夷隅郡大多喜町泉水の休耕田でゼロ戦62型の20ミリ機銃1丁と3日後に 栄エンジンを掘り当てました。 更にエンジン付近から人骨らしきものも発見され、警察が変死体と して調査を開始し、静岡県から2月23日来られた杉山公平さんの実弟より、試料を採集いたしま した。その際、NHK「ゼロ戦の痕跡を追って」が全国に放送され、 特に海上自衛隊の同期諸君から 電話等をたくさんいただきました。 埼玉県の方から自分は大多喜に昔住んでいて、慰霊碑(墓標)も知っているという電話が睦沢歴史民俗 資料館の学芸員にあり、1兵曹で無名の墓標が一周忌に建てられていることが新聞に載りました。 少し複雑になるのですが、終戦の日の玉音放送の直前。第252航空隊の15機のゼロ戦が茂原飛行場 を離陸し、0630連合国軍に「戦闘中止、帰還せよ」の暗号が入りましたが、英空母の艦載機は帰還 せず、ここに第二次大戦最後の空中戦が展開しました。私はこの空域の真下に生まれていましたが、 一切記憶にございません。10機は落下傘降下したもの、不時着を含め、生還し治療や帰隊途中で玉音 放送を聞いています。後に空自西空司令官の新郷さんも福島から午後茂原に飛来しますが、「事前に 終戦は知らなかった」と言っています。空中戦は日高編隊長(戦後テストパイロットで有名)の一撃で 開始され、撃ち落されたパイロットのホックレイ少尉は夕方処刑され、本土決戦の「護北部隊」の連隊長 と上級部隊の幕僚が極東裁判 で犠牲になりました。  さて、静岡県掛川に杉山さんという方がおられ、以前私が昭和20年の夏、我が睦沢町に不時着炎上 した柏木さんというパイロットの墜落地点を金属探知機も使い、策定し、陸自の同期の関係者から遺族 を探り出し、何年か前に慰霊祭をやった記事に目にとめられ、苦心してご遺族が探した戦死地点 「土睦村下ノ部」という公文書の間違いを「これもご縁」と結成されたのが「ゼロ戦探索隊」で私が隊長 に就任しました。 同じ大多喜町横山の墜落地点で、杉山家の来訪を受け、慰霊祭を行いましたが、その家で育った90歳 越えの「茂原の兵隊さんが小林清太郎さんだな」と言っていたの一言の証言で、救われました。 この時私達は決意を新たにし、杉山さんだけは何とかしようと誓いました。 機と運命を共にした5名の5か所とは長生郡長南町佐坪の田村薫さん(伝承)、 ふたつ飛んで夷隅郡大多喜町横山の小林清太郎さん(前述証言)、いすみ市谷上の大上恵助さんの 三か所が完全に埋まり、大多喜町泉水と長生郡長南町熊野(熊野)を静岡の杉山公平さん と 福岡県福岡市の増岡寅雄さんの遺族が分け合う形成となってきました。  わずかの差で警察より遅れ、増岡さんの遺族が3月6日に同じ場所を訪れます。前日の5日夕方に 勝浦署でDNA採取するということです。 我々探索隊の努力がどのように現れるかわかりませんが、またテレビで紹介されると思います。 今後ともよろしくご指導ご鞭撻をお願いする次第です。 関連記事 ゼロ戦の痕跡を追って(NHK)

ゼロ戦の飛行

 

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