平山郁夫美術館訪問紀行

安松敬城  

2023.09.27 

 令和5年(2023年)724日、同期空の秋山碩司君、同期陸の石飛勇次君と私:安松の3人は、広島空港を起点に小旅行を行い、73日、同期海の平山助成君が館長を務める平山郁夫美術館を訪問しました。3人の思い出として写真と行動記録を残そうとしたところ、ホームページの記事として同期の皆様に見てもらうのも面白く、また、平山君からも皆様の来館を頼まれたことから、ここに寄稿するものです。

 

1 発端

 令和545HCD2の日、私はいそいそと防大へ出掛けたのですが、それは久しぶりの母校を訪れることに加え、平山郁夫画伯のステンドグラスの絵が見られるものと楽しみにしていたからです。当日、防大の各施設(新しく、綺麗になっている)、入校式・観閲行進(女子が幅を利かせているのは時代の趨勢なれど、男として一抹の寂しさあり)多くの同期との顔合わせ・会話等、全てが懐かしく、感慨深いものがありましたが、さて、平山画伯の絵が見つからない。

         学生長:女の子

そういえば、何か難しい経緯があったなと思い出したものの、平山画伯の絵が飾られるという素晴らしい計画が無くなるはずがないと思い込んでいたこともあり、一抹の寂しさを感じたものです。

 懇親会にあって、横に立ったのが、海の平山君! 彼は平山画伯の弟さんとは知っていたこともあって、“言葉を交わす”のは卒業以来なんだけど、何の外連味もなく、「今日は残念なことがあった」と話し掛けた。すると「僕は平山郁夫美術館の館長をしている。是非本物を見に来て欲しい」とのこと。短い会話の中、「是非とも伺う」と約束しました。

 いつ、行くかを決めていない中、519日から始まった「G7広島サミット」のニュースを見ていると、岸田首相の後ろの壁画が平山画伯の「シルクロードの駱駝の絵」ではないか、そして続けて写る「原爆ドーム」、「平和記念公園」は、そのどれも見たことがない。よい齢をした日本人として恥ずかしくも思われ、早い内に行きたいと思うようになりました。

G7広島サミット(平和のキャラバン・東(太陽)の前でサイン会)

 近くに住み、何かと一緒の行動をとる秋山君に声を掛けると、「いいね、いいね。行こう!」、「この年になると“いつ何があるか分からない”ので早く行こう。」となり、また近くの陸の石飛君には、一応断っておこうと知らせたところ、「平山君とは、1年の時、同部屋。その俺を差し置いて行けると思うてか。俺も行く!」と、三人で出かけることになりました。平山君に連絡すると「もう来るの?3人で?大歓迎!」ということでした。

 

2 格安便をインターネット予約、土産の準備

 “高齢者の長距離運転は危ない”ということで、車での移動に家族の了承は得られず、飛行機での移動に決め、インターネットで「72日からの23日、飛行機で羽田広島の往復、現地でレンタカー借上げ、宿は連泊、夕食抜きで3人ともに個室」を検索したところ、44百円/1人の格安便が見つかり、予約した次第。平山君への御土産は、各自各様に準備することにしました。土産を準備するのも、案外と楽しいことで、私の場合、千葉県産の梨や枇杷等のフルーツゼリー詰め合わせを重いけれど、持参しました。

 

3 7月2日(日)の行動:羽田⇒広島空港、原爆ドーム、平和記念資料館、厳島神社

 航空便(ANA)は、予約時に座席まで指定できるようで、夫々に窓際席。窓から見える富士山や山の緑、海岸線の景色の素晴らしさは、この旅行の先行きを見せられるようで、大いに期待感を持った次第です。実はこの時期、九州では大雨災害が発生していたのですが、我々の行くところ、曇りベースの天候の中、雨の心配はなく、景色を見るタイミングでは、常に晴の状況でした。

 広島空港でレンタカーを借り、高速道路で広島市へ。平和公園傍の市営駐車場へ駐車し、周囲を見ると、広島お好み焼きランキング1位の「みっちゃん総本店」の支店、「みっちゃん横川店」の看板が見え、丁度昼食時刻でもあり、飛び込む。海鮮スペシャル、特製スペシャル、牡蠣入りそば肉玉子、なんじゃこりゃ?・・・いろいろあり、悩んだのですが、今回の旅にあっては、地元の食を沢山楽しむ狙いもあって、昼食は軽くを合言葉に、「普通のお好み焼き」を注文。実はこれが美味しく、これからの食を楽しむに十分な手応えでした。

提供者:食べログ 

 原爆ドーム、平和記念資料館とも見る価値はあり、いろいろと思うことはあったのですが、ここでは略します。平和記念資料館には、平山君から知らされていた平山郁夫画伯の陶壁画「平和のキャラバン・東(太陽)」、そして、隣の国際会議場には「平和のキャラバン・西(月)」があり、夫々を鑑賞しました。

 厳島神社にも行く予定があったので、鑑賞を短めにして、宮島へ。ドライバーの秋山君は事前にインターネットで確認してくれていたのですが、カーナビは実に便利で、初めてのルートでもしっかりと案内してくれます。

当日の3時頃は大潮の干潮時で、宮島観光の目印たる大鳥居は遠浅の砂地の中に立っていました。根本まで露わになった大鳥居まで、陸地から2百メートルはありそうな中、結構な数の観光客が砂地を歩いて行き、根元で自撮りをしています。よく見ると大鳥居は砂地の中から赤色の柱がでているかのような感じで、基礎が見えません。基礎は砂地の中に隠されているのでしょうが、なるほど、こんな感じで造られているのだと感心したものです。

 

それにしても、宮島・厳島神社は世界遺産で有名な観光地なのでしょう、特段の行事があるようには思えませんでしたが、多くの人が訪れており、人の波でゆっくりと見て廻れない。私もその一人であり、文句は言えませんが、せめて“案内板・由緒書き”を読んで、フムフムとして見たかった。

 

 当日の宿は、翌日の平山郁夫美術館(尾道市瀬戸田町:生口島(いくちしま)という瀬戸内海の島、大きな島で平山君が通った高校もある)訪問を控え、対岸の三原市のホテルを予約しており、宮島から宿まで概ね100キロ。途中、インターネットで見つけた安芸津町の“牡蠣の漁師小屋”で「広島に来たからには牡蠣を食う」を合言葉に、途中で高速を降りて海岸通りを走りました。 

 ちなみに、車の運転は、今でも3ナンバー車を使う秋山君が主に担当し、彼が疲れたり、飲酒した際に、今は軽車両に変更し、健康上の理由から酒をやめた安松が代わりに運転。車は手放した石飛君は、常に助手席で、マップの確認、安全運転のための声掛けをするとともに、旅行の会計係を担当することになりました。

  

   カキ小屋龍明丸             海の味処「藤田屋」

 夕刻、安芸津町についてみると“牡蠣小屋”には、クローズの看板があり(後で聞くと営業時間を過ぎていた)、一同ガッカリのところ、直ぐ傍に「地元の魚料理店」(海の味処「藤田屋」)が見つかり、これが大成功。「カレイの煮つけ」、「アナゴ三昧」、「刺身三昧」。全て格別な美味さで、堪能、文句なし。店主曰く「牡蠣が食べたければ、うちの店では冬場に来てください。」、一同「そうしよう」、「ごちそうさま」で乗車し、宿に向け出発。安松が運転。

 宿は、昔は繁盛していたと思える結構華やかな趣のある「ホテル寿恵広」。チェックインが10時近くと遅くはなったものの、受付の雰囲気も良く、3個の部屋の真ん中、安松の部屋で反省会と翌日の行動確認の後、夫々の部屋に戻り、直ぐに爆睡。

(宿に大浴場はなく個室浴室のみ。皆、朝に浴室使用とのこと)

 

4 7月3日(月)の行動1:「平山郁夫美術館」

 平山郁夫美術館には、近くから出る連絡船で生口島に渡るのが良く、そのために宿もこの位置にしたはずのところ、船では“島についてから歩くことになる”からと、車で移動することになり、宿での朝食を済ませると、尾道市まで上り、瀬戸内しまなみ海道で生口島に。そして美術館着。

美術館では、館長の平山君が出迎えてくれたのですが、その前に目に入った、田舎道脇に立つ冠木門、門から日本庭園の脇を通る通路、通路から見る美術館の佇まいが、華美ではないものの、どっしりと落ち着いた雰囲気で、大いに期待を膨らませるものでした。

玄関から中に入ると、これがまた、素晴らしい。美術館とは思えない雰囲気…と書き始めると、我ながら気になります。美術館に特段の蘊蓄があるわけはなく、美術・芸術に自らの素養や経験に自信はなく、上手く表現できそうにない。幸にインターネットで充実した写真や解説を見ることが出来るので、そちらの閲覧をお勧めし、ここでは細部を省略させてもらい、平山君の説明の方に筆を割くことにします。

 

 平山画伯は、中学の時、勤労動員されていた広島市内の陸軍兵器補給廠で、原子爆弾に被曝、後遺症に悩まされており、若い頃には仏教伝来等の宗教にちなむ作品が多いようです。絵の前に立つと、夫々に引き込まれてしまいますが、平山君が、面白い説明をしてくれるものだから、感慨一入、2時間があっという間に過ぎました。

 画伯の素晴らしさは、被爆や後遺症にめげたり、怨んだりすることなく、穏やかながら、常に前を見、自分に何が出来るかを求めて、強く生きてこられたことにあると思われます。画伯の絵が素晴らしいのは、絵を描く感覚や技術面はもとより、その内面に秘められた人柄が感じられるからではないのだろうかと強く感じました。

   

        玄関ホール                 平山画伯       作品集

 館長室も覗きました。12畳ほどの広さの、落ち着いた感じの良い部屋でしたが、本棚に分厚い「平山郁夫作品集」があり、手に取ってみると、館内の展示作品が沢山収められている。これを頂くことができないものか、後で聞いてみようと思ったものです。

 遅い昼食時間となりましたが、彼の勧めで、近くの居酒屋へ歩き、頂いたのが“鯛めし(炊き込み)”。刺身もついていて、これが美味しかった。

 ここでひと悶着。午後の予定で、平山君は島内の観光案内をするつもりのところ、“しまなみ海道”を通って来た者にしてみると、素晴らしい景観に加え、この海道は四国(愛媛県)まで続いており、折角の機会、道後温泉に入ろうという気持ちになっていて、早く出発したく、折り合わない。ここは遠方から来た者の、折角の機会を優先させ、平山郁夫画伯の生家を見させてもらってから、四国に向かうことになりました。

 

   平山画伯の生家              平山画伯 生家前の風景

 平山郁夫画伯の生家(同期平山君の実家というと途端にありふれた感じとなってしまいますが)は、海傍で頑丈な作りの大勢が住めそうな3階建ての旧家でした。現在は誰も住んではいないため、彼が言うに「丁度良い空気の入れ替え時」、私共も窓開けをお手伝いしましたが、窓から眼下に見える瀬戸内海の、対岸の島との間の水道の流れを見、壁にかかった小さな絵などを見ながら、説明を受けると、幼少時の面影が偲ばれるとともに、画伯が、なぜか、自分の兄貴にも似た身近な存在のようにも感じられ、今回の訪問が、一層素晴らしく、有難いことと思わずにはおれませんでした。

ちなみに、「平山画伯独特の、群青・緑・黄金色の原点は、生まれ育った生家から眺めたこの風景にある!」とは実弟平山君の説明でした。

ここで、彼と別れるのですが、彼から御土産と言って3人に渡してくれたのが、紙袋に入った「平山郁夫作品集」。「エーッ、良いの? 欲しかった!ありがとう!」(思いが伝わった? 欲しそうな サモシイ顔はしていなかっただろうな)

 

5 7月3日(月)の行動2:瀬戸内しまなみ海道、道後温泉

 “瀬戸内しまなみ海道”は、西瀬戸自動車道の愛称で、本州・広島県尾道市から(向島・因島・生口島・大三島・伯方島・大島などを経て)四国・愛媛県今治市を全長約60kmで結ぶ架橋ルートです。 生口島から次の島へ渡る「多々羅大橋(高さ226メートル)」の道路の高さは48m。橋げたは見えども、その高さまで達するのに10分はかかった感じがします。ところが、しまなみ海道に入ってからは走り易く、今治市を抜け松山市道後温泉まで、概ね77キロ約1時間、午後3時過ぎには着きました。

 我々3人とも松山には御上りさん、道後温泉は坊ちゃんの湯に入ると決めていたのですが、その「道後温泉本館」は、改装中のため閉館中。どうしても入りたい人への耳寄りな情報⇒裏に回ると「霊の湯」と言われる通常では高貴な人だけが入れる湯があって、表が改装中の間は、一般の人にも開放、5百円で入れるとのこと、折角来たのだから、是非ともということで、大勢のお客と共に並んで入りました。10人入れば一杯の小さな温泉場で、半数以上は外人さんでした。

 

  道後温泉本館裏口             霊の湯

 御上りさんは、続きます。リフトを使って、松山城にも上りました。

 

  松山城をバックにポーズ           帰りのロープウェイ

最終便のロープウェイで降りてくると、既に17時半近くになっており、そこで反転、尾道に向け出発です。

瀬戸内しまなみ海道

しまなみ海道は夕方も絶景が続きます。秋山君にお疲れではないかと、代わりの運転を提案するのですが、景色が良いと疲れは少ないとのことで、この行程の全てを秋山君が運転です。途中、生口島SAで休憩し、その際に、平山君へ本日の御礼を言うとともに、別れてからの行動の無事を知らせました。

 三原市に着いて、インターネットで確認していた和風居酒屋レストランに到着。これまで、水は飲んでも、他には何にも入れていないので、皆、結構な空腹です。私は「メバルの煮つけ定食」。お二人は、メニューの写真を見て、ボリュームが気に入ったのか、てんぷら定食、それにビールと冷酒。お二人は、私が煮つけの汁をご飯にかけて食べるのを見て、「おい、汁を少し残しておけ」と言い、自分たちのご飯にもかけ(一人はご飯のお代わりもしていた)、満腹・満足。

宿へは安松の運転で、2030分着。

 

6 7月4日(火)の行動1:宿の朝の風景

 0530にスマホで目を覚まし、窓のカーテンを開けると、そこには“一面の瀬戸内の穏やかな海”と“そこに浮かぶ島々”、それが“濃霧に包まれている”素晴らしい景色が目の前に広がっていました。絶景だと強く思いましたが、いや、ちょっと待て、自然そのものの穏やかな景色の中、息苦しい程に濃い濃霧に自分も溶け込んでいるかのように感じると、単なる絶景とは違うように思えます。椅子を持って来て、眺めていると、次第に明るくなり、霧が少しずつ晴れて行きます。“これが朝というものだ”と強く感じ、“これから新しい一日が始まる”、“今日も頑張ろう”という気がしてきました。

 

 

 


              ホテルの窓から見た瀬戸内の穏やかな海

7 7月4日(火)の行動2:江田島&呉を見学、夕刻広島空港⇒羽田

 0730荷物をもって食堂に集合、朝食をとり、0800に江田島に向け出発しました。

10時半には、 海上自衛隊第1術科学校の正門につきましたが、基地見学は時間が決められていて、1回目が11時15分からなので11時以降に又来てくれとのこと。問題は、近くに他の観光スポットがないことで、昼食には未だ早く、コンビニでコーヒーを買っては車で飲むなどで時間を費やした次第です。

  手軽にタイムスリップ!この世界の片隅にある「旧海軍兵学校」を知ってほしい - イーアイデムの地元メディア「ジモコロ」

     教育参考館                   旧海軍兵学校

 基地見学は、基本的に90分位で係の案内で纏まって行動してもらう、幹部候補生学校等は中に入ることなく、外から眺めるだけとのこと。我々3人はOBで、狙いは教育参考館にあり、それならば、他の見学者とは離れて、当初から教育参考館に行くことができないかを願い出、お蔭で見学は充実したものとなりました。

 ここで石飛君は、身内の人の名前を見つけたようで、感慨一入の様子。館を出てから早速に、親戚に電話レポートをしていました。

 この日、呉で「大和ミュージアム(戦艦「大和」を中心に、呉の歴史、造船の科学技術を紹介する博物館)」と「てつのくじら館(実物潜水艦の地上展示)」を見学することにしており、江田島で時間を要したことから、昼食抜きで呉に向かいました。28キロ、1時間弱。

 呉に着いてみて分かったのですが、隣り合った両施設とも、何と当日・火曜日は定休日。中に入れず、係員も皆無です。実は、この小旅行の立ち寄り先の選定や行動スケジュールを立案したのは私なのですが、世の中、博物館と雖も、定休日があることを失念していました。

ガックリです。お二人に申し訳ないことをしたと思わずにはおれません。

 閉館中の両施設の外観を眺めつつ、隣のショッピングセンターで昼食。メニューは3人共「イイダコを使ったイタリア風料理(料理名は忘れました)(千円ちょっとで高くはなかった)」。不味くはなかったけれど変な味と思いながら、その店を出て、初めは気付かなかった隣の和食料理店のサンプル展示を見ると、「アジフライ定食」や「カレイの唐揚げ定食」があるではないか、広島での最後の食事、「しまった。俺は、こっちにすれば良かった」。サモシく、ナサケないことに思わず声が出ました。(それやこれやで、呉には、もう一度来なければならないと思うようになりました。)

   

      てつのくじら館               大和ミュージアム

 その後、広島空港に向かう。時間に余裕が出来たということで、高速に入る前の呉市内で、レンタカーへの給油をしたのですが、これが大成功。返納先のレンタカー屋の周りでは給油所が見つからず、そのまま返納することになったのですが、割高なガソリン代を請求されそうになった時、先の給油の際の領収レシートを見せることにより、わずかな支払いで済ませることが出来た次第です。

3日間の総走行距離は480キロ、結構な距離になったものです。秋山君に感謝します。

 広島空港からANA便、羽田1830着でした。

 

8 終わりに

 行程に“年寄りの冷や水”、無理・無茶がなかったとは言えませんが、そして、無事に帰宅できたから言えるのかも知れませんが、素晴らしい傘寿記念の旅になりました。3人が纏まったのも、“平山画伯の絵”を見るという少し高尚な行動を中心に置いたことが良かったのかもしれません。

また、平山助成君のお誘いと御支援があったから出来たことで、平山君には、ここに厚く御礼申し上げます。

石飛 平山 安松 秋山

 ところで、平山画伯には、もう一つ、山梨県北杜市に「平山郁夫シルクロード美術館(画伯の奥様が館長)」があります。それも、今回の旅の中で知ったことですが、私共3人には、今回の旅での画伯の絵の余韻が残っており、未だ時期は決まっていませんが、近い内に「シルクロード美術館」にも行くことになっています。

少し、涼しくなってきたからでしょうか、「今度は、車で行こう」、「イヤ、現地でレンタカーを借りた方が安全かも・・・」と、話に具体性が出てきました。    

                   

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