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アルゼンチン共和国大使講演会
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日 時: 11 月 30 日(土)15:00〜16:15 会 場 :守谷市の 国際交流研修センター(ログハウス) 講 師:アラン・ベロー駐日特命全権大使
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茨城県守谷市の国際交流協会(MIFA)の主催で、アルゼンチン共和国大使講演会が実施されましたので報告 本講演会は「アルゼンチンについて、そして日本との結びつき」と題して、
アラン・ベロー駐日特命全権 大使はアルゼンチンが独立200 周年の 2016年に日本へ赴任されました。この年は日本からアルゼンチン まずアルゼンチンといえば、防大の図書館の中庭にあるサン・マルチン将軍の胸像です。
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サン・マルチン将軍 胸像 The bust of General San Martin セ・フランシスコ・デ・サン・マルティン・イ・マトーラス(José Francisco de San Martíny Matorras, 防大にこの胸像が設置された経緯は、戦後の初代駐日アルゼンチン大使カルロス・キロス氏が離任帰国に 大使はこの胸像を東京都に寄贈する予定であったが、東京都には外国偉人の銅像がどこにもなく、前例が 在京アルゼンチン大使は、サン・マルチン将軍の命日には毎年花輪を捧げており(昨年の献花の状況を参照) 日露戦争 アルゼンチンがイタリア、ジェノバに発注していた軍艦二隻が、チリとの軍縮協定で不要になったので、
軍艦「日進」 軍艦「春日」 日本海海戦は、日露戦争中の1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて、日本海軍の連合艦隊とロシア 日系アルゼンチン移民略史 日系アルゼンチン人の歴史は1908年から1909年にかけて、沖縄と鹿児島から移民が到着したときに始まりま 戦前には、日系アルゼンチン人の大部分は都市部で小さな商売を営んでいました。 第2次世界大戦の影響 日米が戦争をしていたとき、アルゼンチンは1943年まで中立を保っていたので、日系アルゼンチン人の 1960年代以降の移民の波 1960年代から70年代にかけて、新しい移民の波が日系社会を再び活性化しました。
1920年代にはクリーニング業が日本人居住者のよく従事した職業であった。「キョウト」クリーニング店の経営者 (1914年にアルゼンチン入国)。店はブエノスアイレス、ラバレ通りの2047番にあった。(サトウ家所蔵)(アメリカ大陸日系人百科事典より)
最後に
日露戦争の時、大国ロシアを相手に、小国の日本が戦うということで、どこの国も相手にして 秋山記
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(参考) ホセ・デ・サン・マルチン将軍は南アメリカ独立運動の英雄で、1778年2月25日 ナポレオンとの戦いで武勲をあげた彼は1812年大佐に昇進する予定であったが、 ブエノス・アイレスの革命政府のもとで軍隊を訓練した彼は、1812年ホセ・バザラ ここで彼は海軍を再編成して海路ペルーに向い、1821年リマを攻略して独立を宣言した。 南アメリカをスペインから独立させるために果たした業績はシモン・ボリーバルと比較すると、 ![]() 5ペソ 肖像はサン・マルチン将軍
アルゼンチン駐日特命全権大使 アラン・ベロー氏 プロフィール
学 歴: ブエノスアイレス大学法科大学院
主要経歴:
1984 ブエノスアイレス大学法科大学院 主席卒業 外務省入省
1984-1986 外務省法律顧問室 法務担当官
1987-1991 駐ウルグアイモンテビデオ市 総領事館領事担当官
1994-1998 駐ベネズエラ大使館 経済・貿易参事官
2000-2001 外務省 法務顧問
2002-2005 外務省 法務次席顧問
2006-2011 駐欧州連合大使館 次席公使
2012 から 大使
2016 から 駐日特命全権大使
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