沖縄戦に散ったわが父!!! 

 

遠望子(大串 康夫)       

コラム「羅針盤」掲載    

 

  沖縄戦80年の節目に妻・娘を帯同して慰霊巡拝した。沖縄戦は本土唯一の地上戦で 約3か月、軍・民20万人を超える戦没者を数えた激戦であった。 沖縄では、日本軍の組織的戦闘が終結した6月23日を「沖縄慰霊の日」と定め追悼 している。 父はその3日前に戦死した。 父は私が生まれる半年前に出征した。召集砲兵であった。帰還した戦友の証言で嘉数 高地の戦闘で重傷を負い片足を失って野戦病院を転々と南下し最後は病院壕で自爆した と知った。ひめゆり学徒隊の看護を受けつつ足を引き摺り敗走したのであろうか。 戦死公報では糸満市米須で戦死とあるだけで遺骨は不明のままだ。戦後1年近くなって、 米須地区の野・畑、ガマ洞窟の中に放置されていた3万5千余柱の遺骨を米占領軍の許可 を得て収容し「魂魄の塔」が建立されたのだが、父もここに眠っていると信じ沖縄訪問 の都度参拝している。  この日も早朝の参拝後、平和祈願慰霊大行進に参加した。全国各地からの遺族を含む 約400人が強い日差しの炎天下ひめゆりの塔から平和祈念公園への4kmの道のりを 行進した。 高齢者にはかなりの強行軍であったが、激戦で追い詰められ、敗走南下する往時の将兵 と逃げ惑う住民の艱難辛苦を偲びながら歩いた。私も82歳なのでこれが最後と思って 来たが、知り合った87歳の老爺が10年後も参加するとの冗談に元気をもらった。  引き続いて沖縄全戦没者追悼式に参列した。戦後80年の節目もあってか首相、 衆参議長、最高裁長官の「3権の長」が列席し、式場はテント外に立見が出るほどで あった。児童合唱団の澄んだコーラスの中、献花が行われ、鎮魂の祈りと恒久平和を 祈念する厳粛な追悼式であった。 がしかし、「3権の長」の異口同音の挨拶には違和感を覚えた。 住民を巻き込んだ沖縄戦の悲惨さ、戦争への反省と平和の尊さ、豊かな沖縄への展望 などには心から共鳴したが、全戦没者に含まれる戦死した将兵への追悼の言葉がない。 国を、沖縄を守ろうと必死に戦い散華した英霊を悼み、感謝する言葉が全くなかった のである。 この国の世相を反映してか?と寂しかった。県民を代表する知事ならいざ知らず、国を 代表する「3権の長」には先ず言及して欲しかった。 国のため命を懸けて戦い国に殉じた将兵に感謝し崇敬するのは国際常識である。 台湾有事は日本有事。その前面に立つ沖縄を守るため自衛隊が防備を固め、自衛隊員が 「身の危険を顧みず」任務に邁進するのである。 国の指導層への覚醒を促したい。                                    遠望子 【参考】全戦没者追悼式   

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